沿革
History
History
色川が大阪弁護士会入会。
日本農民組合顧問弁護士として西日本各地の事件を担当。
1940年(昭和15年)~1945年(昭和20年)応召・法務将校
大阪市東区北浜2丁目の旧鴻池組所有の建物に色川法律事務所を構える。
色川が大阪弁護士会会長に就任。
この頃は、一般民事事件、商事事件のほか、業務妨害被告事件、外国為替及び外国貿易管理法違反被告事件等の刑事事件も扱っていた。
大証金ビルの新築工事に伴い、花外楼東隣の2階建ての民家に一時移転。
大証金ビルの完成により、同ビルの5階に入居。
色川が最高裁判所裁判官に任命される。
色川が最高裁判所裁判官を退官、弁護士に復帰。
この頃取り扱った主な事件
大証金ビルの事務所が手狭になり、北浜3丁目の旧日本生命今橋ビルの3階に移転。
旧日本生命今橋ビルの建替工事に伴い、すぐ北にある京阪淀屋橋ビルの8階に移転。
同ビルの事務所当時の昭和61年に、林が最高裁判所裁判官に任命されたが、翌昭和62年に死去。
色川死去
この頃取り扱った主な事件
色川の薫陶(弁護士に求められる資質についての色川のスピーチ)を受けた弁護士がその後を受け継いだ。
この頃取り扱った主な事件
現在の所在地である淀屋橋スクエア12階に移転。
東京事務所を開設するため、弁護士法人色川法律事務所を設立。
従前の色川法律事務所(大阪)を弁護士法人色川法律事務所に統合し、弁護士法人として一本化。