コラム
Column
Column
些か旧聞に属するのですが、最高裁判所は昨年(平成25年)9月に、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の半分と定めている民法の規定(900条4号但し書き前段)は法の下の平等を定めた憲法(14条1項)に違反するとの判断を、裁判官全員一致の意見で示しました(平成25年9月4日大法廷決定)。非嫡出子の申立てを退けた一・二審の判断を否定したものですが、それまでの最高裁の判断は違憲ではないというものでした(平成7年7月5日大法廷決定。但し、15人の裁判官のうち5人は反対意見でした)。
平成7年の最高裁決定は、民法900条4号但し書き前段の規定は、法律上の配偶者との間に生まれた嫡出子の立場を尊重しつつ嫡出でない子の保護を図ったもので、民法が法律婚主義を採用している以上はこのような立法理由には合理的根拠があり、著しく不合理であるとは言えない。したがって憲法に違反するものではないという結論でした。民法が法律婚主義を採用している以上は、法定相続分(これは遺言による相続分の指定がない場合などに補充的に機能する規定です)について、婚姻関係にある配偶者とその子を優遇して定めるが、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったのがこの規定であるから、これは立法府に与えられた合理的な裁量範囲を超えるものではないというのです。
これに対して平成25年の最高裁決定では、問題となった法定相続分の不平等の合理性をめぐる種々の事柄の変遷等は、その中のどれひとつを捉えても、不平等を不合理とする決定的な理由にはならないと言いながらも、現在までの社会の動向、家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化、諸外国の立法の趨勢(ドイツやフランスでも嫡出子と非嫡出子の相続法上の差別が撤廃されていることが指摘されています)、わが国が批准した条約に児童が出生によっていかなる差別も受けない旨の規定があること、差別的規定の削除が国際委員会から勧告されていること、嫡出子と非嫡出子の区別にかかわる戸籍法等の法制の変化、最高裁判例における度重なる問題の指摘(平成7年の最高裁大法廷決定にも5名の裁判官の反対意見があったことや、それ以降、平成21年までに出された最高裁小法廷の判決や決定の補足意見の内容を見ると、今日までの合憲という結論は「辛うじて」維持されていたものであると指摘しています)等を総合的に考察すれば、家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかであり、法律婚という制度がわが国に定着し、法律婚を尊重する意識が幅広く国民の間に浸透してはいるとしても、国民の認識の変化に伴い、父母が婚姻関係になかったという子としては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、非嫡出子であっても個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているということができると、判断しています。
この決定の対象となった相続は平成13年7月のことなので、その相続時点である平成13年7月当時においては、民法900条4号但し書きの規定は憲法14条1項に違反していたというのが、この決定の結論でした。但し、この決定以前の相続には違憲判断は遡及しないとしています。
結論の当否は別として、この決定の理由付けには、何となくすんなりと頭に入り難いものがあります。違憲という結論を導くのが難しかったようにも見えます。しかし、そういうこととは関係なく、最高裁の判断を動かすことはできないのですが、この最高裁の判断を一般市民はどう受け止めたでしょうか。婚外子を奨励するのかなどという暴論は、まさかないでしょうが、法律婚主義という(明治以降の?)わが国の「醇風美俗」に泥を塗るものではないか、という意見くらいは聞かれるかも知れません。平成7年の最高裁大法廷決定は、民法900条4号但し書き前段の規定は、法律上の配偶者との間に生まれた嫡出子の立場を尊重するとともに、嫡出子と同様に被相続人の子である非嫡出子をも保護しようとしたもので、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったもの、言い換えれば、法律婚主義という制度と制度外での非嫡出子の出生という事実との間のバランスを取ったものだと言っているのですから、非嫡出子の保護が法定相続分二分の一に限定されないということになれば、このバランスが崩れるではないかと考えるのは至極当然のことです。
この決定には3人の裁判官の補足意見が附されていますが、そのなかの岡部喜代子裁判官の意見は、法律婚を尊重する意識について述べています。同裁判官は、相続分の定めは親子関係の効果の問題であって婚姻関係の問題ではないし、今日までの国内外の事情の変化によって、嫡出子をその中に含む婚姻共同体をその中に非嫡出子を含む婚姻外共同体よりも優遇する合理性、ないしは婚姻共同体の保護を理由としてその構成員である嫡出子の相続分を非構成員である非嫡出子の相続分より優遇することの合理性は減少してきたと言えるので、法律婚を尊重する意識が広く浸透しているからといって、婚姻関係から出生したか否かで嫡出子と非嫡出子を区別することは相当でないという意見です。わが国において法律婚を尊重する基盤となっていた家族像(平成7年の最高裁大法廷決定の対象である相続の時点における家族像)にも変化が生じているし、わが国内外の事情の変化は子を個人として尊重すべきであるとの考えを確立させているので、婚姻制度の延長上に、あるいは婚姻制度とバランスをとって相続制度を考えなくてもよい、ということも指摘しています。
平成25年最高裁大法廷決定にいう「国民の意識の変化」を実感できている人は、この結論をすんなりと受け止めることができるでしょうが、この稿の筆者は「はて、国民の意識はそんなに変わってきているのかな」というのが正直なところです。相続には遺言という方法もありますから、決定の結論自体には必ずしも反対ではないのですが。
それぞれの受け止め方はどうであれ、既に法改正も行われましたので、今後は非嫡出子の法定相続分は嫡出子の法定相続分と等しくなることになった、ということでした。