コラム
Column
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1 「法は倫理の最低限度」という法諺があります。
本稿では、「誰を著者とすべきか」という問題について、企業の研究論文を題材に、
著作権と研究者倫理におけるオーサーシップ、より大きくいえば、組織と個人、法と倫
理の関係を考えてみたいと思います。
2 弁護士というのは基本的に個人の名前で仕事をする職業ですが、会社では、複数人が
組織として仕事をするのが通常だと思います。
では、組織で行った仕事において、個人の貢献はどのように評価され、クレジット表
記されるべきでしょうか。
以下の【設例】で考えてみましょう。
3 さて、この場合、まず、この研究論文の著作者は誰になるのでしょうか[1]。
(1)その前提として、そもそもこの研究論文に著作権は成立するでしょうか。
“研究論文というのは高度に創作性のあるものだから、当然、著作権が成立する”と
考えられるかもしれませんが、これは、研究そのものと著作権を混同しています。
著作権については次の点に留意する必要があります[2]。
① 著作権は、あくまで「著作物」について認められるものであること
② 「著作物」とは、「思想又は感情を創作的に表現」したものであり(著作権法
第2条第1項第1号)、着想やアイデア[3]、あるいは、事実や数字等のデータ
は著作権の保護対象とはならないこと
③ 「創作的に表現」したものといえるためには、独創性までは必要ないが、何ら
かの個性が発現されたものでなければならないこと
以上からすると、研究論文だからといって当然に著作権が認められることになりま
せん[4]。
その理由は次のとおりです。
① 研究論文というのは、先行研究の存在や内容を踏まえて新たな事実や知見を記
述したものであり、研究課題と事実や数値等のデータからなるものであるとこ
ろ、その記述にあたり、一定の用語や言い回しが用いられ、また、語句の選択や
順序、配列に工夫を凝らされるとしても、その多くは慣用的なものであり、そこ
に創作性(何らかの個性)が認められる余地はそう大きくないこと
② 他の表現方法がある中で特定の表現方法を選択したという点に創作性が認めら
れる余地はあるものの、ふつうにみられる平易な表現やありふれた表現の場合、
それだけで創作性が認められることにはならないこと
③ 以上の点を顧慮することなく安易に著作権を認めてしまうと、権利保護の強さ
(例えば、登録不要で差止請求が可能、保護期間は創作の時から死後70年と長期
であること等)とも相俟って、他者の表現の自由の幅を不当に狭めることになり
かねないこと。
したがって、【設例】の研究論文に著作権が認められるためには、著作物として、
その表現に何らかの個性(選択の幅がある中での、ありふれたものではない、創作的
な表現)が発現されたものでなければなりません。
(2)では、仮にこの研究論文に著作権が認められるとした場合、著作権法上、誰が著作
者になるのでしょうか。
Ⅽは当然、また、Bもおそらく著作者になるでしょうが(共同著作物)、Aを著作
者とみることは困難と思われます。なぜなら、Aは、研究の主導者として研究活動を
牽引してきたキーパーソンではあっても、論文そのものについては、内容を決裁(承
認)したのみで、草稿執筆・加除修正といった「創作的な表現」そのものに主体的に
関与したとはいえないからです。
4 著作権法の枠組で考えると以上のとおりですが、これには何か違和感を覚えるのでは
ないでしょうか。
研究において主導的役割を果たしたAが「著作者」とは認められず、逆に、研究結果
のとりまとめを行ったにすぎないCやBにのみ「著作者」の資格が認められるのはおか
しいのではないか、という違和感です。
もっと言うと、そもそも研究において重要なことは、従来にない新たな知見を得るこ
とであって、論文作成はいわばその最後の一つの工程にすぎないのに、しかも、研究論
文の価値は、課題や着想の独創性と、数値や事実といったデータにこそあるはずなの
に、それらを捨象し、「創作的な表現」の有無、つまりは説明の仕方にのみ注目するの
は事の本質を見誤っているのではないか、という疑問です。
このような違和感や疑問の源は、著作権法と研究者倫理との「ズレ」にあるように思
われます。
すなわち、研究や論文における個人の貢献は、純粋に法的な視点だけでなく[5]、研
究者倫理の視点からも併せ検討する必要があるように思われるのです[6]。
5 研究者倫理に関しては、「科学の健全な発展のために―誠実な科学者の心得―」[7]
というガイドラインが公表されています。
そこでは、研究者倫理上、誰を著者とすべきか(オーサーシップ)について、
「論文の基となった研究の中で重要な貢献を果たした者には『著者』としての資格が
あり、そうでない者にはその資格はない」
とされ、国際医学雑誌編集者委員会[8]「投稿統一規程」の次の基準を引用しています
(なお、下線は筆者が付したものです。)。
① 研究の構想・デザインやデータの取得・分析・解釈に実質的に寄与していること
② 論文の草稿執筆や重要な専門的内容について重要な校閲を行っていること
③ 出版原稿の最終版を承認していること
④ 論文の任意の箇所の正確性や誠実さについて疑義が指摘された際、調査が適正に
行われ疑義が解決されることを保証するため、研究のあらゆる側面について説明で
きることに同意していること
同規程では、これら4つの基準すべてを満たすことがオーサーシップの条件としてい
ます[9]。
そこでこれを【設例】についてみると、B、Cだけでなく、Aも当然、「著者」と認
められるべきものと解されます。なぜなら、Aは、「研究」の中で最も重要な貢献をし
た者であり、上記4基準のうち①、③、④について中心的役割を担っているのみなら
ず、②についても論文の専門的内容を承認(決裁)することによって「重要な専門的内
容について重要な校閲」を行っていると考えられるからです。
そして、研究への貢献を認めるクレジットにおいては、むしろAこそが「筆頭著者」
(ファースト・オーサー)として表記されるべきでしょう。
6 以上垣間見たように、法と倫理は、時に相反します。
「法は倫理の最低限度」という法諺があるとおり、単に法令さえ守っていれば
よいというものではありませんが、法令が人間社会のルールのコアであることも事実
です。
したがって、組織の活動においては、まずは法令を確認すべきですが、倫理の法化、
法の倫理化が進む中、それだけでよしとするのではなく、より広く社会の倫理規範(規
範意識、違和感)に耳を澄ます必要があると思われます。
倫理や道徳というと、何か、堅苦しいお説教のような印象があるかもしれませんが、
会社や組織が人間社会の一員として、また、社会から必要とされる存在として、無用な
炎上を回避しつつ存続・発展していくために欠かせない重要な行動指針であり、それは
同時に、社員をはじめとする個人の幸福にも資する人間の智慧であると考えます。
以上
[1] 「職務著作」、すなわち、会社の発意に基づき会社の業務に従事する者が職務上作成するもので会社の名義の下に公表する等の要件を満たす場合は、会社(法人)が著作者となり、個人への著作権帰属の問題は生じません(著作権法第15条)。実務上、多くの場合は職務著作だと思われますが、学術研究団体の中には個人名での論文しか投稿を受け付けないところもあります。その場合に本文で述べた問題となり、従業員個人の著作権・著作者人格権の取扱いにも留意する必要があります。
[2] なお、本文で述べたことに付け加えると、著作権というのは「著作物」の利用について著作者が有する様々な権利(例えば、複製権や翻案権)の「束」であり、多種多様なものが含まれます。また、権利性が弱い著作物については侵害の範囲も限定され、デッドコピーに近いものが要求される傾向にあります。このため、著作権においては、「著作物」といえるかどうかを抽象的に考えるのではなく、「侵害」(無断利用)の場面を念頭に置き、問題となっている権利と対象物を対比して具体的に考えると理解しやすいように思います。
[3] 「アイデア」は、著作権法ではなく、特許法等の産業財産権によって保護されることになりますが、出願・登録されていない純粋なアイデアを法的に保護することは、情報の自由な流通の観点、立証の観点から、相当難しいという印象です。
[4] 学術論文(英文)について、著作物性を認めた原審判決を覆し、創作性がないことを理由に著作権・著作者人格権の侵害を否定したものとして、知財高判H22.5.27(判例タイムズ1343号203頁)参照。
なお、実際の検討にあたっては研究論文の内容等を具体的に検討する必要があることは言うまでもありません。
[5] なお、法的にも、個人の行った研究の価値を損ない、また、その貢献や役割を否定するなどの行為は、その態様や程度に照らし社会通念上許される限度を超える場合は、当該個人の人格的価値ないし利益を侵害するものとして不法行為となることもあります。東京地判H23.4.13(判例タイムズ1361号176頁)参照。
[6] これと似たものとして、物のパブリシティ、例えば動物や車両等を所有者の許諾なく撮影し商業的に利用することが許されるかが、実務上よく問題になります。
[7] 独立行政法人日本学術振興会 「科学の健全な発展のために」編集委員会 https://www.jsps.go.jp/j-kousei/data/rinri.pdf
[8] International Committee of Medical Journal Editors:ICMJE
[9] これらの要件を満たさないが例えば経済的に寄与した者については、「著者」としてではなく「謝辞」に記載するのが適切とされています。