コラム
Column
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昨年(2016年)は、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」とが大ヒットした年でした(註1)。その「君の名は。」に「繭五郎の大火」の話が出てきます。200年ほど前、ヒロインの住む糸守町の草履屋の山崎繭五郎の風呂場から出火した大火で宮水神社が燃えたということが「繭五郎の大火」として現代まで伝承されており、ヒロインの妹は「マユゴローさん、こんなことで名前が残るなんてかわいそ」と山崎繭五郎に同情するという内容です。(この繭五郎の大火がストーリーとどう関わるかは映画を観るなり、原作小説を読むなりしてください(註2)。)
法律を学んだ者なら、知らなければもぐりとも云うべき、少年店員○○○事件と「光清撃ツゾ」事件という大正期の大変有名な事件があります。少年店員○○○事件は11歳11月の少年店員が主人のお使いで自転車に乗って得意先に物を運ぶ途中被害者に衝突して負傷させたという事件で、裁判所は、少年店員の責任能力(民法712条)を認めました。これに対し、「光清撃ツゾ」事件では、12歳7月の某少年が、遊んでいて「光清、撃つぞ」といいながら空気銃を被害者である光清少年に向けたので、光清少年が「危険だから止めろ」と制止したのに、引き金に触れ発砲し、光清少年の左眼を失明させたという事件で、裁判所は、加害者の少年の責任能力を否定しました(註3)。ここで私は少年の責任能力について論じたいのではありません。この事件名の「○○○」には加害者本人の名が入ります。名だけでなく氏名が、大審院民事判決録という公式判例集に載っており、公開されていますし、少年店員○○○事件という事件名は、今でもいくつかの著名な民法の教科書にはそのまま載っています。(因みに光清少年や光清少年の加害者である某少年もフルネームで出てきます。)まさに「少年店員○○○さん、かわいそ」状態です。確かに個人名の入った判例はインパクトがあり、インパクトのある判例名は頭に残りやすいという点で学習者にとっては望ましいのですが、個人名は、やはりプライバシーの観点から慎重に扱うべきです。前途有為な少年においてはなおさらのことです。さすがにいつごろからかははっきりしないのですが、判例集では、当事者の個人名は記載されなくなってきました。(なお、法人名(特に著名な法人名)はほとんどまだ残っているので、訴訟で勝っていれば良いですが、負けてもいつもまでも××事件として残り続ける事情は変わっていません。)
グーグル検索で、住所の県名と氏名とを入力して検索すると、検索結果として、逮捕歴が表示されるということで、グーグルを相手取って、検索結果の仮の削除の仮処分を申し立てたという事件がありました。平成27年6月25日、この事件のさいたま地方裁判所決定は、債権者の申立てを認め、さらに、この決定に対する保全異議申立事件でも、同年12月22日、さいたま地方裁判所の認可決定が出たのですが、この決定に対する保全抗告事件の翌28年7月12日の東京高等裁判所の決定は、仮処分決定とその認可決定とを取り消し、仮処分命令申立ては却下しました(註4)。高裁決定は、「忘れられる権利」を一内容とする人格権という考え方の必要性には否定的で、人格権としての名誉権ないしプライバシー権を前提として差止請求権の存否を判断すればよいとして、本件犯行がいまだ公共の利害に関する事項であり(註5)、本件犯行が真実で、本件検索結果の表示が公益目的でないことが明らかでないとはいえないという理由で、名誉権の侵害に基づく差し止め請求を斥けました。
高裁決定も、特定個人の逮捕歴が何時までも表示されることについて、名誉権ないしプライバシー権の侵害となることもあることを否定した訳ではありません。ちょっと事案が適当ではなかったということだけのことです。今後、議論が進むことになるでしょう。もっとも、山崎繭五郎さんも少年店員○○○君も事件当時は、修羅場だったかもしれませんが、末永く言い伝えられることも、生きた証しを残せたということで、そんなに悪いことでもないのかもしれません。(私は嫌だけど)
(註1)私は、「シン・ゴジラ」の方がよほど好きなのですが、どう考えても「法律コラム」にこじつけることができませんでした。ゴジラに対して、自衛隊の防衛出動ができるかなんて、ネットの二番煎じですし、「礼には及びません。仕事ですから」なんかかっこいいので、ネタにしたかったのですが。
(註2)以前、私のコラムで、とある映画のことを詳しく書きすぎたので、一読者から「観ていない映画のネタばれは勘弁!」とのお叱りをいただきました。そこで、今回はネタばれにならないように気をつけました。ご迷惑をおかけした方々には、ここに謹んでお詫び申し上げます。
(註3)少年店員○○○事件は大審院判決大正4年5月12日大審院民事判決録21輯692頁。「光清撃ツゾ」事件は大審院判決大正6年4月30日大審院民事判決録23輯715頁。
未成年の民事上の責任能力の有無の境界は、12歳(小学校卒業)程度とされています。この2つの判例は、一方が11歳11月で責任能力を認めたにもかかわらず、他方が12歳7月で否定しており、一見矛盾しているようですが、少年店員○○○事件では、被害者が、主人の使用者責任(民法715条)を追及しようとし、被害者救済のために主人の損害賠償責任を認めるためには、被用者である少年が責任能力を有していることが必要であったのに対し、「光清撃ツゾ」事件では、被害者が、未成年者の監督者責任(民法714条)を追及しようとし、これまた被害者救済のためには、少年の責任能力を否定する必要があったからであるとも説明されています。被害者救済のためにとはいえ随分と御都合主義とは思います。
(註4)平成27年6月25日のさいたま地方裁判所決定及び同年12月22日のさいたま地方裁判所決定につき判例時報2282号83頁と同78頁。平成28年7月12日の東京高等裁判所の決定はWestlawの判例検索。
(註5)この点につき、高裁決定は次のように説明しています。
「本件犯行が児童買春行為という、子の健全な育成等の観点から、その防止及び取締りの徹底について社会的関心の高い行為であり、特に女子の児童を養育する親にとって重大な関心事であることは明らかである。このような本件犯行の性質からは、その発生から既に5年程度の期間が経過しているとしても、また、相手方が一市民であるとしても、罰金の納付を終えてから5年を経過せず刑の言渡しの効力が失われていないこと(刑法34条の2第1項)も考慮すると、本件犯行は、いまだ公共の利害に関する事項である。」
(以下平成29年2月3日追記)
この高裁決定に対する許可抗告事件の平成29年1月31日最高裁判所第三小法廷決定は、一方で個人のプライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益は法的保護の対象となるとしながらも、他方で、検索事業者による特定の検索結果の提供行為が違法とされることは、検索結果の提供は検索事業者自身の表現行為の制約であるとともにインターネット上の情報流通の基盤としての役割を制約するものであるとしたうえで、検索事業者に対して、検索結果からの情報の削除を求めることができるための厳格な基準を定立し、本件については、この高裁決定の判断を是認することができるとしました。