コラム
Column
Column
海外生活を経験すると日本社会の良さを再認識することが多々ありますが、日本の常識があっさりと否定されることもあります。その一例が「夫婦同姓」制度で、これが世界的に稀な制度であることは広く知られるようになりました。これと同様に、「二重国籍の禁止」も普遍的とは言えない日本の常識の一つです。
例えば国際機関などで各国からの職員と接していると、二重国籍や三重国籍を持つ人々は珍しくありません。日本では昨年10月に最高裁判所で「二重国籍を認めない現行国籍法の規定は憲法に違反しない」との判断が示されました。これは、制度論として『二重国籍の容認』を排除するものではないものの、今の日本の常識を追認する判断でした。
日本ではこの『単一国籍の原則』との常識があるので、二重国籍者(さらに多重国籍を含む「重国籍者」)という言葉にはどこか特殊でネガティブな響きがありますが、実際には日本人にも90万人ほどの重国籍者が存在しています。
日本の国籍の定め方は血統主義なので、出生地主義を採用する国で生まれた子供は自動的に二重国籍となります。成人になるまでに国籍留保の届出を行えば、その後の国籍選択を罰則で強制されることはなく、また日本国籍を選択しても、外国国籍の離脱は努力義務に過ぎません(国籍離脱を制限している国もあります)。
このように重国籍禁止が徹底されているわけではなく、例えば、日本からの移住者とその子女が多数居住している中南米諸国で出生した二世以降は二重国籍で育てられることがほとんどです。
これに対して、自己の意思で外国籍を取得した場合は明確です。国籍法第11条は『自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う』と規定、その時点で日本国籍は自動的に剥奪され日本のパスポートは違法となります。
自己都合で勝手に外国籍を取得するような人間なら日本国籍剥奪も当然だ、と即断する人もいますが、ここで指摘したいのは、日本国籍のまま現地に根を下ろした一世の方々が、第二の母国ともいえる受け入れ国の国籍取得を望んでも、国籍剥奪という懲罰的な日本の現行法制のために諦めざるを得なくなっているという点です。
言うまでもなく外国籍取得の意思は日本を棄てる意思を意味するものではありません。むしろ、海外での生活の基盤や活躍の場を確立するための手段として外国籍が必要となるケースが多いのです。国籍法第11条の規定はそうした可能性を一切認めず、国の方から一方的に当人を見棄てるかのような偏狭な考え方のようにも見えます。
移住者は一例ですが、若くして海外に雄飛して社会的地位の確立をめざす人や配偶者の国で日本人としても現地に貢献したいと考える人々が、より活動の質を高めるために現地国籍も取得しておきたいと考えるのは当然です。他方、外国籍を取得しておきながら違法状態を把握されないよう日本政府に申告せずに暮らし続けている人もいます。これは日本にとっても本人にとっても決して好ましい事態ではなく、いずれの状態にせよ、海外在住者の精神的な重圧は計り知れません。
《注》
1. 戸籍法第103条は、『国籍喪失の届出は、本人…が、国籍喪失の事実を知った日から一か
月以内(中略)に、これをしなければならない。』と規定しているが、この届出がなくて
も国籍喪失の事実は変わらない。
2. ただ無届出でも罰則がないために日本政府として個々人の外国籍取得の事実を知ること
は困難であり、何か大きな出来事(ノーベル賞受賞や公職への立候補など)が契機となっ
て事実が顕在化することがある。
国際移動や国際結婚が増大する中で、世界的には重国籍容認の流れが強まっており、欧州や南北アメリカ諸国のほとんどが、またアジアでも韓国が10年前に重国籍の容認に転じました。この背景には、自国での人口減少が進む中で在外自国民の国籍離脱による流出に歯止めをかけるとともに、優秀な外国人を自国民として獲得したいという政策的判断もありそうです。
日本でも人口減少や海外での存在感の低下、頭脳流出といった問題が浮上しています。重国籍容認に当たっては、それにともなう主権の衝突、いいとこ取りの権利行使・義務回避の防止といった複雑な諸点をクリアすべきは当然ですが、それらを十分に踏まえた上で、自国民が雄飛先の国籍も取得して心置きなく海外で活躍できるよう、日本政府として国籍法改正を検討し始めてはどうでしょうか。
《注》
重国籍容認や国籍選択制度廃止については、これまでに何度か制度改正の請願書が国会に提
出されている。また海外日系人大会の大会宣言にも、『私たちは移住国を愛し、日本を愛して
います。“Two Sprits, One Heart” なのです。私たちの子供をふくめて重国籍を認めるよう日
本政府に求めます。』との一文が盛り込まれている。
以上